愚痴

 口を開くと他人/作品に対して批判的な言葉しか出てこない自分が嫌で嫌で仕方がないと常日頃思い悩んでいるが、一方でその位貪欲でもまあいいかとも思う。問題は少しでも環境をよくしようという行動に移せない自分にあるからだ。アラ探しは誰でもできるからね。それもできない種族は確かに存在するが。
 最近Web上のゲーム論関係の文章を漁ってるうちにふと電波。ゲーマーが文句ばっかり言うのは当然ではないだろうか。人や物のアラを探して文句を言うのとゲームを攻略する行為が同じプロセスを辿っているように見えて仕方がない。どっちも誰かが作った理想形/パターンがあって、その形との差異を見つけるだけの単純な行動だからだ。新しいパターンを生成することだって同じだ。どういうフローを辿ろうが行き着く先はエンディングか何かの共通の終着点があり、その道筋は有限だから。(ちなみに対戦ゲーは別だ。対人マンセー。)
 そう思うと懐古厨の云うところのゲームなんてものは滅んじゃっても別にいいやとも思う。映画や教材やチャットツールの何がそんなに悪いんだ。ただ何十時間何百時間もかけて誰かの手のひらの上で偽りの全能感を植えつけられるほうがよっぽど教育によろしくない。まさにゲーム脳(冗談やで)。
 絶対負けるはずのイベントボスを倒そうとか、Lv1でクリアしようとか、昔はすごい思いつきだったのかもしれない。目的設定自体を創るっていうのは難しいことだ。しかし今ではそれすらシステムに組み込まれ消費行動に成り下がっている。エロゲーなりRPGでもやって全米が震撼でもしてたほうが100倍まし。エロゲーRPGも全盛期は90年代後半だよな。…圧倒的なグラフィックにふるえてればいいんじゃないだろうか。なんだろ。結局文句言ってるだけだな。